クリスマスの真相 サンタクロースと悪魔教 大人向け考察 

雑学

季節柄クリスマスについて考えてみたいと思います。

毎年12月に入ると何処も彼処もクリスマスの雰囲気に包まれて浮いた気分になりますよね。

ツリーを飾ったり、サンタさんに欲しいものリストを書いたり・・・

我家でも子供が小さいときはよくやってました。

子供たちは24日のイブにサンタさんがプレゼントを持ってきてくれるのを心待ちにしていたものです。

ところでクリスマスというのはキリストの生誕を祝う日というのが一般的ですが、
そうでは無いとする説もあります。

実際のところどうなんでしょう。

いつ頃から祝うようになったのか。

誰が始めたのか。

サンタクロースってそもそも何なのか。

などなど、今回はそんなクリスマスの真相に迫ってみたいと思います。

クリスマス 本当はキリスト生誕の日ではない!?

12月25日(クリスマス)は一般にキリスト生誕の日とされていますが実はそうではありません。

そもそも聖書にはキリストが生まれた時の様子については書かれていますが、
いつ生まれたかについての記述はありません。

ということは12月25日の可能性もあるじゃん、ということになりますが、
少なくとも12月25日ではないとする根拠があります。

それはルカ福音書〔2.8~〕の記述によります。

それには、「野営をしていた羊飼いたちがイエスを見舞った」という内容のことが書かれているんですが、ユダヤの口伝律法シュミナーによれば羊飼い達が野営をするのは、初めの雨と呼ばれる秋の最初の雨の日までで、11月以降は寒さのため野営しないと記されているのです。

つまり12月25日にはこの地方の牧童たちは野営をしないのです。

他に、ノアの大洪水の時から算出した結果、西暦で言うところの9月下旬だとする説もあります。

その根拠となる部分を詳しく書かれているサイトがありましたので一部を引用します。

第1の月の1日から数えて7日+40日、つまり第2の月の17日から始まった雨は、やがて地上に大洪水となり100と50の日(5ケ月)の間、地上で勢いを失いませんでしたが、その水は減り始めました。
 そして、第7の月の17日、箱舟はアララト山脈のひとつに止まりました(日本語聖書ではアララト山と記されていますが、アララトは山脈の名称で、箱舟がとまったのは山脈の中の一つです)。
 フラウィウス・ヨセフスは「ユダヤ古代誌」の中に「こうして箱舟は、アルメニアのある山の頂きに漂着した。」と記しています。
 第7の月の17日は、ちょうど後に三大祭礼の1つとして祝われることになる仮庵祭にあたっています。それだけではありません。ルカ福音書の記載から算出されるイエス様の誕生日が、ちょうど第7の月の中旬なのです。
 洗礼者ヨハネの父ザカリヤは、アビヤ組の祭司でした。祭司の組は24組が春分から始まる24週ごとの安息日を交替でシフトします。アビヤ組は第8組でした。AD.70年8月5日にエルサレム神殿がローマ軍に破壊された際、第1組の祭司が神殿奉仕の務めを終えたところだったことが、ヨセフスの証言とユダヤ教のタルムードから分かっています。そこからユダヤ暦(太陰暦)で逆算すると、ルカ1章でザカリヤが第3月の3週目の神殿奉仕を終えたのはBC.3年7月13日と算出されます。ザカリヤの妻エリサベツの懐妊はその後のことですから、妊娠期間280日を加算すると、洗礼者ヨハネの誕生がBC.2年4月19~20日前後となり、ちょうど過越祭にあたっています。
 エリサベツの妊娠6ケ月目に、イエスの母マリアが懐妊しました。BC.3年12月の4週目です。そこから280日後がイエス様の誕生日で、西暦(太陽暦)のBC.2年9月29日前後となります。ちょうどユダヤ暦の第7の月の中旬、17日前後です。そして仮庵祭とも一致するのです。

http://hananel.o.oo7.jp/genesis8syo.html

ということで、聖書の記述からも12月25日がキリスト生誕の日ではないことは明らかなようです。

因みに聖書にはイエスが馬小屋で生まれたという記述もありません。

では、何故この日がキリスト生誕の日となったのでしょうか?

クリスマスをキリスト生誕の日としたのは悪魔教!?・・・ 

最初にクリスマスを祝ったのはローマ帝国の皇帝コンスタンティヌス1世の時代でした。

西暦313年に「ミラノ勅令」を公布してキリスト教を公認し、ローマ皇帝として初めてクリスマスを祝ったといいます。

その後西暦354年ローマ司教リベリウスの時に、キリスト教は12月25日(クリスマス)をイエスの誕生日として正式に導入しました。

さて、このコンスタンティヌスですが初めてキリスト教を信仰したローマ皇帝と言われ、
ローマカトリックや正教会などでは聖人とされていますが、
実際には生涯キリスト教の洗礼は受けず、ミトラ教大神官の称号を維持し続けました。

そもそもミラノ勅令には「ローマ皇帝が帝国の安泰と秩序を願って信仰の自由を認めた」ということが述べられていて、これによって多くの宗教が公認され、キリスト教はそのうちの一つだったということです。

当時一大勢力となっていたキリスト教を利用して、
自らはキリスト教徒にはならずとも理解ある皇帝であるという演出をして見せ、
分断されていた帝国を一つにしようとした意図が伺えます。

また、そう考えるキリスト教学者も少なくありません。

では、クリスマスが12月25日になったのは何故でしょうか?

この日は元々ローマが崇拝していたミトラ教の冬至の祭りの日でありローマでは盛大に祝われていました。

それに対抗してキリスト教もクリスマスをこの日に祝うようになったといいます。

この日はまたペルシャ起源の太陽神ミトラの誕生日でもあり、
旧約聖書に登場するバベルの塔を建設しようとしたニムロドの誕生日でもありました。

ということで、実はキリスト教徒にとっては忌むべき日だったのです。

サンタクロースの出自と地域によって異なる印象

サンタクロースはどのように誕生したか

サンタクロースは3世紀後半から4世紀前半に活躍したキリスト教の神学者、聖ニコラス(ミラのニコラオス)という人物がモデルと言われています。

ローマ帝国時代の小アジア(現在のトルコ)に生まれ、キリスト教の主教だった叔父に薦められて聖職者になり、後にミラの大主教に就任した人物です。

罪なき人の守護聖人、子供の守護聖人などと呼ばれ、優しい性格と深い慈悲の心を持っていて、数々の伝説が語り継がれています。

その一つに、貧困に苦しんだ商人が娘3人を売春させる瀬戸際だったところ、この家の煙突に金貨を投げ入れたという伝承があり、これがサンタクロース伝説の原型になったということです。

靴下をぶら下げてその中にプレゼントを入れるという風習も、この時煙突に投げ入れた金貨がたまたま暖炉に干してあった姉妹の靴下に入ったからという伝承から始まったようです。

ざっとサンタクロースの出自についてご紹介しましたが、今度は日本とヨーロッパではどのような違いや特徴があるのか、について紹介していきます。

日本やアメリカとは違う ヨーロッパのサンタクロース

日本人がイメージするサンタクロースと言えば、

こんな感じですが、これはアメリカ由来です。

コカ・コーラのCMで初めて「髭を生やした赤い服のお爺さん」の形をとったのです。

ヨーロッパ中部(ドイツやオーストリア、ハンガリーなど)では少々違った印象があります。

これらの地域では聖ニコラスがプレゼントを持ってやって来るとき、クランプスというお供を連れて来ます。

そのクランプスというのがこれ ↓

Krampus with pug in a basket

まんま悪魔やんけ・・・

プレゼントをくれる聖ニコラスとは対照的に、悪い子は連れて行ってしまうという恐ろしい生き物なのです。

日本で言う「ナマハゲ」みたいな感じでしょうか。

クリスマスカードにもクランプスが描かれているものもあり、日本やアメリカとは違ってローマ時代からの古い歴史が背景にあると言う訳です。

つまり、私たち日本人が知っているクリスマスやサンタクロースは、精々数十年前にアメリカの作家たちによって脚色され、アメリカの商業主義によって全く別物になったという訳です。

まとめ

今回はクリスマスの真実ということで、私なりの見解も含めて書かせて頂きました。

・12月25日はキリストの誕生日ではない

・クリスマスはミトラ教の冬至の祭りがベース

・西暦354年にキリスト教はクリスマスを12月25日に決めた

私の両親は敬虔なクリスチャンで子供の頃は毎週教会へ連れていかれてました。

クリスマス前の4週間は当時の私にとっては特別で、1週過ぎるごとにローソクの火が一本、二本、と増えていき四本目が点いた日がクリスマス直前の日曜日で、おもちゃを買ってもらえる日でした。

いい思い出である反面、知らず知らずのうちに別の神を拝まされていたのかと少々落胆したこともありましたが、今はこれはこれで神がお許しになっているものだから、存在している訳で1つの祭りとして楽しめればいいのかと思っています。

まあ、今日書いたことが全て真実という絶対的な保障はありませんからね。

それでは今回はこのへんで・・・

どうもありがとうございました。

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